
2019/12/05
お釈迦様の時代、ガンジス河の北部、インド北部のネパールと国境を接する地域に栄えたのがコーサラ国で、釈迦族はコーサラ国の属国であったといわれています。
コーサラ国は、南のマガダ国同様に大変栄えた国でした。
ここには六指外道といわれるベーダ宗教によらない宗教が盛んでした。 そこに、スダッタという豪商であり、功徳家のスダッタ長者がおり、マガダ国に出向いた際、釈尊とそのみ教えに出会い、お釈迦様を招来しようとし、精舎が寄進されました。
新参の仏教が人々に浸透して行くにつれ、危惧をした外道宗教者はいろいろな妨害を試みたといわれています。
妨害は少なからず仏教教団に影響を与え、お釈迦様は自ら外道宗教の長達と奇跡比べをされたといわれています。
他の長たちが体や地中から水や炎などを現したのに対し、お釈迦様は水と炎の両方を現され、長達を驚かせると同時に、それ以降、仏教教団への妨害がなくなったといわれています。
祇園精舎・釈尊香室跡(スラバスティー)
この地では、浄土三部経の阿弥陀経が説かれた聖地としても有名です。
遺跡には、お釈迦様の香堂跡や著名なお弟子の香堂跡、僧院跡、沐浴場などが整備されています。
舎衛城跡(スラバスティー)
また、遠くに祇園精舎を望むことができ、お釈迦様の好まれる土地が「お城から遠くなく人通りがあり、静かに瞑想できる場所」とのことで祇園精舎が建立された位置関係もよく判ります。
その他、井戸の跡や道路跡といわれる遺跡も発掘されています。
釈尊昇天の塚
祇園精舎の鐘