仏跡巡礼の旅

インド お釈迦様ゆかりの地

祇園精舎(サラバスティー、スラバスティー)

祇園精舎の寄進(スリランカ寺院壁画)

祇園精舎の寄進(スリランカ寺院壁画)

お釈迦様の時代、ガンジス河の北部、インド北部のネパールと国境を接する地域に栄えたのがコーサラ国で、釈迦族はコーサラ国の属国であったといわれています。

コーサラ国は、南のマガダ国同様に大変栄えた国でした。
ここには六指外道といわれるベーダ宗教によらない宗教が盛んでした。 そこに、スダッタという豪商であり、功徳家のスダッタ長者がおり、マガダ国に出向いた際、釈尊とそのみ教えに出会い、お釈迦様を招来しようとし、精舎が寄進されました。

祇園精舎の奇跡(スリランカ寺院壁画

祇園精舎の奇跡(スリランカ寺院壁画

新参の仏教が人々に浸透して行くにつれ、危惧をした外道宗教者はいろいろな妨害を試みたといわれています。
妨害は少なからず仏教教団に影響を与え、お釈迦様は自ら外道宗教の長達と奇跡比べをされたといわれています。
他の長たちが体や地中から水や炎などを現したのに対し、お釈迦様は水と炎の両方を現され、長達を驚かせると同時に、それ以降、仏教教団への妨害がなくなったといわれています。

祇園精舎(サヘット)跡

祇園精舎(香室全景)

祇園精舎(香室全景)

富豪のスダッタ長者がこの国のジェーダ太子の所有する土地に黄金を敷き詰めて求めた土地に精舎が建立され、お釈迦様と仏教教団に寄進されました。
スダッタ長者は孤独な者や貧しい者に施しをしたことから給孤独尊者と呼ばれ、ジェーダ太子は祇多太子と呼ばれ、二人の名を取って「祇樹給孤独園」と呼ばれるようになり、短く「祇園精舎」と呼ばれるようになりました。
現在ではよほど天候に恵まれないと見ることができませんが、遠くヒマラヤを見ることができ、故郷で毎日ヒマラヤをご覧になっていたであろうお釈迦様は大変にお好みになられたようで、45年の布教生活の内、25回の夏安吾をここで過ごされたといわれています。

この地では、浄土三部経の阿弥陀経が説かれた聖地としても有名です。
遺跡には、お釈迦様の香堂跡や著名なお弟子の香堂跡、僧院跡、沐浴場などが整備されています。

舎衛城(マヘット)跡

スダッタ長者の屋敷跡

スダッタ長者の屋敷跡

祇園精舎の北東に位置するのがコーサラ国の都が置かれたマヘット(舎衛城)の故地です。
祇園精舎に比べて舎衛城の跡はまだまだ発掘が進んでおらず、現在は精舎を寄進したスダッタ長者の屋敷の跡といわれる遺跡と、この地でお釈迦様に教化されたアングリマーラ(指鬘外道)の屋敷跡といわれる遺跡が印象深く佇んでいます。
いずれの遺跡も登ることができ、広大な農地の中に残るジャングルを見ると、舎衛国の大きさが想像できます。

また、遠くに祇園精舎を望むことができ、お釈迦様の好まれる土地が「お城から遠くなく人通りがあり、静かに瞑想できる場所」とのことで祇園精舎が建立された位置関係もよく判ります。

その他、井戸の跡や道路跡といわれる遺跡も発掘されています。

昇天の塚

釈尊昇天の塚

釈尊昇天の塚

お釈迦様の実母マーヤ妃はお釈迦様を出産された後に亡くなられました。
仏伝によると、祇園精舎を訪れていたお釈迦様は、父王のスッドダーナ王に請われて故郷のカピラ城を訪ね釈迦族の人々を教化したと伝えられています。
その後、祇園精舎に戻られたお釈迦様は亡き実母に説法をされんがため天上に昇られたといわれ、その場所がここだとされています。
現在は小山のような仏塔の跡ですが、頂上には寺院の遺跡があります。
尚、上座部仏教では、お釈迦様が天上界で真理を検証(アビドン)をされるために昇天された場所とされています。
ちなみに、天上から地上に戻られた地がサンカッシャーで、八大聖地となっています。

祇園精舎の鐘

祇園精舎の鐘

祇園精舎の鐘

「祇園精舎の鐘の音、諸行無常の響きあり・・・・」ではじまる平家物語。
日本人がインドにあるお釈迦様の聖地巡拝をはじめた頃、祇園精舎に鐘がないことを残念に思われた有志の方々により、今から三十年以上も前に、祇園精舎に鐘が贈られました。
現在は、インド政府に帰属して管理人はおりますが撞く人はなく、静かに佇んでいます。