仏跡巡礼の旅

インド お釈迦様ゆかりの地

リッチャビ族の居城跡バイシャリ

バイシャリ王宮跡

バイシャリ王宮跡

お釈迦様の時代、ガンジス河北岸に栄えた国で、リッチャビ人が合議制により国を治めていたとされています。
この地は、仏伝の中でも最初と最後に登場する大切な場所で、お釈迦様が出家した際、この地の近くに住むアーラーダ・カーラーマという仙人に弟子入りした(別説ではマガダ国)といい、お釈迦様の最後の旅の出発点でもあります。
最後の旅で立ち寄られた際の物語は「ガンジス河の水争い」や「遊女アンバパーリの施食供養とマンゴー園の寄進」などに登場し、大切な聖地のひとつになっています。
現在、遺跡は主に三カ所に点在しており、将来の発掘調査が楽しみな遺跡でもあります。

アショーカ王柱と僧院跡

バイシャリ王柱と仏塔

バイシャリ王柱と仏塔

バイシャリで最も有名な遺跡が僧院跡の遺跡です。
紀元前3世紀にインドをほぼ統一し、仏教に帰依をして法による統治をしたアショーカ王はインドの仏教遺跡を巡礼すると同時に、多くの仏塔を建立しアショーカ王柱という柱を建立しました。
現在ではほとんどが完全な姿で残っておらず、この遺跡のアショーカ王柱がほぼ完全な姿で残っているからです。
アショーカ王建立といわれる仏塔の脇に、仏塔を向いてライオンの像を頂きに載せて立つ王柱は他に類がなく、2300年前の往時を偲ばせてくれます。
また、アショーカ王柱の南には猿がお釈迦様と教団のために掘ったといわれる沐浴の池があります。
現在はアショーカ王仏塔と王柱の回りに奉献仏塔の基壇があり、僧院跡が数カ所発掘されているにすぎませんが、将来は広大な遺跡になると考古学局は予想しています。

仏舎利発掘の仏塔跡

 

舎利仏塔

舎利仏塔

アショーカ王柱の残る僧院跡から南東に2kmほどのところにあるのが仏塔跡で、この仏塔跡から仏舎利が発見されました。
仏舎利は現在パトナ州立博物館に大切に保管されています。
遺跡は発掘されたまま基壇部が残り、当時の大きさを再現した仏塔型の屋根が造られています。

王宮跡

仏舎利発見の仏塔跡から更に1km程南東にはリッチャビ族の王宮跡といわれる遺跡が発掘されています。
特に近年発掘に力を入れ、500m四方の広大な遺跡が出土いたしました。

見返りの塚とアンバパーリの生家跡

見返りの塚

見返りの塚

お釈迦様がバイシャリの都を後にされる際、バイシャリの都をふり返って「バイシャリは美しい、霊樹の下は楽しい」と感慨深くおっしゃったといわれています。
お釈迦様がバイシャリの都をふり返られた場所に小さな丘があり、見返りの塚と呼ばれています。

また、バイシャリの南西にはアンバパーリが生まれたという場所が比定されており、現在は学校になっていて、正門の上に「アンバパーリの生家」の文字が刻まれています。

バイシャリ近郊

ケサリヤ仏塔

ケサリヤ仏塔

ケサリヤ仏塔

バイシャリから北西に約45km、クシナガラから南東に約105kmにあるのが最近再発掘されたケサリヤ仏塔です。
現在は高さ約31mの仏塔跡で、本来の高さは38mあったといわれている1998年に再発掘された仏塔です。
インド政府考古学局の推測では、紀元前3世紀のアショーカ王の建立に由来し、4世紀から8世紀に現在の仏塔の姿になり、実際にはインドネシアのボロブドール遺跡を凌ぐ45mの高さがあったとされています。
お釈迦様がこの地に滞在されて、ケサプッタというお経を説法されたということからこの名がついたとされ、お釈迦様涅槃の旅では、お釈迦様との別れ難いバイシャリの人々がこの場所まで同行し、バイシャリの都が機能不全に陥ったために、人々を諭して帰らせられた場所とされています。
仏塔は発掘前の小山のような姿と発掘後の7層の仏塔基壇部が半々となっていて、仏教遺跡の状況を知ることもできる貴重な仏塔です。
中間の基壇部には降魔成道仏が残っていて、残念なことは全ての仏像に頭部がないことです。