仏跡巡礼の旅

インド お釈迦様ゆかりの地

涅槃の地クシナガラ(クシナーラ)

涅槃の地に建つ涅槃堂

涅槃の地に建つ涅槃堂
手前の木が沙羅双樹

クシナガラはインド北部の農村地域にあり、お釈迦様がお亡くなりになられた聖地として有名です。

お釈迦様が八十歳になられ、八大聖地のバイシャリ近郊で最後の雨安吾を過ごされた後、北に向かって布教の道を歩まれ、この地で涅槃に入られました。

遺跡は涅槃に入られた地に建つ涅槃堂の他、最後の説法地、最期に沐浴をされたヒランヤパティー河、荼毘塚があり、最近、お釈迦様の舎利を八つに分けられた場所も比定されました。
現在、八分骨地、ヒランヤパティー河共に整備が進められています。

涅槃堂

涅槃像(クシナガラ)

涅槃像(クシナガラ)

お釈迦様の涅槃に入られた場所に建つといわれるのが涅槃堂です。
蒲鉾型の印象的な涅槃堂には、最後に沐浴をされたといわれるヒランヤパティー川の川底から発見されたという涅槃仏が安置されています。
涅槃仏は右の手を頭の下に置かれ、穏やかなお姿で「頭北面西」の言葉通りに横たわっておられます。
ただ一点、お釈迦様の足先が少しずれており、それがインドでは涅槃の姿であるとされています。
涅槃仏の基壇部には、中央にお釈迦様に向いて座す「阿羅漢」や「悲しみに絶えかねている人」、「悲しみを堪える沙門」の姿が掘られており、ブックサ、マッラ国の王、阿難尊者など諸説があります。
尚、2012年初頭、参拝者の増加により、涅槃仏を保護するために柵が設けられました。
涅槃堂の正面には沙羅樹(沙羅双樹)が立っています。
涅槃堂の東側には仏塔が聳え、周囲には僧院の跡や奉献ストゥーパの基壇なども発掘されています。
ちなみに、南東の角に阿難尊者を記念した小塔が建立されています。

荼毘塚とヒランヤパティー河

荼毘塚(クシナガラ)

荼毘塚(クシナガラ)

お釈迦様のご遺体は在家の人々により火葬(荼毘)にふされました。
その場所が涅槃堂から東に1.5km程のところにある荼毘塚です。
お釈迦様のご遺体は真綿と絹で何重にも包まれ、白檀の高木を組んだ上に安置され火葬されたといわれています。
ただ、葬儀は在家信者に任されていたことから、この地の王や貴族がご遺体に火をつけようとしましたが燃えることがなく、遅れて到着した大迦葉尊者が右繞をすると自ずと燃え上がったといわれています。
現在はいびつな形の仏塔があり、南側に寺院の遺構が残っています。
見ようによっては、お釈迦様の涅槃の姿のように見ることができます。

また、荼毘塚の北側には最後に沐浴をされた川であるヒランヤパティー川の細い流れがあり、ガートが整備されたこともあって地元の人々が火葬をする姿を見かけるようになりました。

最後の説法地

最後の説法地

最後の説法地

涅槃堂から南東に約250mのところに僧院の跡が発掘されており、この地がお釈迦様が最後に説法をされた地だとされています。
遺跡の東には小堂があり、この地で発掘された降魔成道仏が安置されていて、普段は鍵が掛かっているため、番人が居るときのみ参拝が可能です。

八分骨地

八分骨地

八分骨地

お釈迦様を荼毘にふした後、お釈迦様にゆかりの国々は競って仏舎利を手に入れようとし、争いが起きる寸前でした。
その時、バラモンのドローナが現れて争いをやめさせ、仏舎利をゆかりの国々に八等分した場所がこの地であるとされています。
回りが農地に整備された中で里山のように菩提樹が茂げるだけでしたが、2012年に州政府により遺跡として整備され、降魔成道仏が菩提樹の前に安置されています。
地元の人の話によれば、衛星写真によると、この地下にはマッラ国の遺跡が埋もれているとのことです。

チュンダの村

チュンダの村の仏塔跡

チュンダの村の仏塔跡

クシナガラの南東約17kmに小村があり、お釈迦様に最後の食事を差し上げた鍛冶屋のチュンダの村があります。
チュンダの村にもブダガヤのスジャータ記念塔同様の仏塔があったと思われますが、現在は小高い丘のようになり、印度政府考古学局によってフェンスで保護をされているだけで、将来の発掘調査が待たれます。
尚、丘の東側に小堂がありますが、イスラム教の祠です。

カクッタ河

カクッタ河

カクッタ河

チュンダの村とクシナガラの中間にある比較的大きな河で、特に遺跡があるわけではありませんが、仏伝によれば、
激しい下痢で喉が乾いていたお釈迦様が清らかな水に身体を沈め、心ゆくまで水を召し上がられたという物語が残っています。